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初秋の1日大山崎山荘で野点を・・・
おいしいお抹茶とお菓子で 楽しい語らい |
大山崎山荘は、ニッカウヰスキー創始者・加賀正太郎氏の邸宅として建てられたものです。
遊学で磨かれた美学を存分につぎ込んで、堂々たる英国風山荘が大正4年に完成しました。
加賀正太郎は、裕福な家に生まれ、小さいころから蝶の採集を趣味とし、
この趣味から植物(特に高山植物)最終的には蘭科植物へと興味を広げました。採集でよく登った信州の経験から、
ヨーロッパの山々に憧れるようになり明治43年にヨーロッパに遊学した時、ユングフラウヨッホ・日本人第1号登山者となリました。
また、英国ウインザー城からのテムズ川の景観にも強い印象を得てました。
大正元年、テームズの景色に似たこの地を見つけ又蘭栽培に適した気候でもあると考え
ウインザーの記憶を元に、この地に自邸を建てることにしました。 |
昭和29年正太郎は、がんで66歳の生涯を閉じました。
山荘は、その後加賀家の手を離れ、
幾多の人手を渡るという経過をたどっています。
一時期は、高級会員制クラブなどにもなり
京都の数寄者の優雅な施設として使われたりしていたのです。
最後には、マンション計画が立ち上がりましたが、
山荘が、あまりに立派な良いものであったので、
京都府とアサヒビールの樋口氏などの努力で
安藤忠雄の設計した地中の宝石箱・美術館と、
庭園一帯を府の公園に整備して、
現在の「大山崎山荘美術館」に生まれ変わりました。
くぐれば、抜けるとどんな世界が・・・・期待が沸いてきます。
山荘への魅力有るイントロダクションを楽しみましょう。 |

緑滴る坂道に、トンネルが迎えてくれます。 |
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ここは山荘の入り口、「流水門」
建築当初は上下の池は豊富な湧き水で満たされ
上の池から下の池へ水がここを流れていたそうです。
人が入るのには飛び石伝い、車はタイヤを洗いながら
という洒落た物だったようです。 |
山荘が建築中の大正4年
晩年の夏目漱石が、早春の一日この山荘に
遊んだという話が残っています。
文人と交流の広かった、磯田多佳の縁によって
実現したと言うことです。
ふもとまでタクシーで、
そこから漱石夫妻は駕籠に乗り、
お隣にある「宝寺」の五重塔を見ながら登ったそう。
今、私たちが訪ねると、駕籠ならぬ美術館の送迎バスが
阪急・JRの両駅まで迎えに来てくれます。
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階段上のステンドグラスがシックです
山荘自体が、大変力のある魅力的な建築です。
ステンドグラス・階段・天井の梁どの細部までも
どっしりと良い雰囲気。
2階には古式オルゴールもあり定期的に良い音で演奏。
見学の足と目を休め、聞きほれました |

こういう場所に、着物がぴったり!
あなたも行かれるときはぜひともお着物で。 |

ここは、元は寝室だったとか。
作り付けのたんすなどに名残が・・・
今は喫茶室になっています。
アサヒビールのプロジェクトらしく、おいしい生ビールがありました。
この部屋からテラスに出ますと正太郎が見た
テームズの流れが広がります。 |

どこもかしこも、大正ロマンに骨太さを加えた
魅力雰囲気たっぷりの家です。 |

有名な版画集「蘭花譜」も残されている様に
この山荘の温室での蘭栽培の成果は、
歴史に残るものとして現在でも評価されています。 |

蘭屋敷とか、蘭のメッカといわれた山荘の温室 |
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「地中の宝石箱」と呼ばれている展示室への階段。
安藤忠雄の設計。
モネの睡蓮はもちろん、
ジャコメッティの彫像に、静謐な時間を・・・・
これだけでもこの美術館に来た甲斐がありました。 |
門から、美術館入り口の間にある茶亭とかかれた建物。
道からは一階のみですが、この建物の横
庭園へ出る階段に廻るとこのような
2階建てのスイス風をミックスしたような
面白い離れ家がありました。
今は、鍵が掛かっていて使われていないようです・・・ |
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山荘の庭園 東屋で、たっぷりと時間をかけて野点を楽しみました。 |

大正ロマンの素敵な洗面所・・・・見学だけ・・・
使ってはいけませんのよ |
開館時間 : 午前10時〜午後5時 (入館は午後4時半まで)
休館日 : 月曜日(祝日の場合は翌日)
入館料 : 一般600円 高校大学400円 小中学200円
電話 : 総合案内075-957-3123
大山崎山荘へは、
JR京都線 「山崎駅」・阪急京都線 「大山崎駅」より徒歩10分
上記で触れたように、送迎バスが両駅から20分間隔で運行しています。(無料)
美術館には駐車場はありません。 |